14.大成功のナショナルテアトル公演
更新日:2017年11月28日
2017年11月4日(土)、この日を忘れたらばちがあたるだろう。
そんな記憶に残る1日になった。
旧皇帝政権時代に作られた歴史ある劇場。
誰にきいても「BEST!」という。
政府系の劇場で、専属の伝統舞踏のミュージシャンやダンサーが雇われている。
かつて皇帝が使用した特別席は今も保存されていて一般利用禁止だ。
エチオピアでこの場所以上の劇場は存在しない。ここはエチオピアの文化発信のための一番地だ。
この度、HEAVENESEは栄えあるナショナルテアトルにて、エチオピア文化環境省の主催演目として行われた。

停電で何も進まない!
前日からの仕込みではなく、当日の朝入りで午後4時までに会場させるというのは、全くやったことがない劇場では無謀なスケジュールだった。
ところが、メンバー宿泊しているメロディーホテルは朝から停電で、出発の準備さえできない。迎えのバスも約束の時間にこない。
そんなこんなで、準備そのものが大幅に遅れてスタートした。
ここでは、何もかもが予定どおりにすすまない。
我々がメロディーホテル組よりも少し遅れて現場入りするために、ホテルを出る準備をしていると、ディレクターの小林から電話が入った。
今来ていただいても、何もできませんのでもう少しゆっくり来てください!
え?どういうこと?ときくと、劇場の電気が何度も落ちるというのだ。
「停電すると真っ暗になっちゃって何もできません。あ、今もまさに電気がおちました!!!」
予定どおりの機材もない中、なんとか音響の石井さんが最善を尽くそうと早くに現場入りして仕込みを始めようとしていたところに、何度も襲ってきたのが「停電」の嵐だった。
本番は音なし、アコースティックを覚悟してください!!
小林さんは何度も電話口でそう繰り返した。
劇場にはジェネレーターがあるから停電することはないから心配いらないと聞かされていた。しかしジェネレーターに切り替わるまで最低で1分はかかる。
本番中に電気がおちれば会場が真っ暗になる。約1分だ。
ところが電話中に停電してから復活するまでゆうに3分はあった。
我々も日本でのリハのときから停電対策をしてきた。
電気がおちると、キーボード、ベース、ボーカルが消える。
だから、ドラムや太鼓、サックス、尺八、箏、三味線でなんとか続けてもらうしかない。
電源がここでおちたら、こうしようとか、ここで落ちたら、これにしようと、曲の途中で電気が落ちた場合のことは打ち合わせしていた。
しかし、ここまでひっきりなしに停電すると、もはやコンサートとして成立するのかと不安になる。
ミキシングボードのチャンネルが半分壊れてる!
さらに問題は音響だった。
石井さんは過去の海外ツアーすべてに同行しているから、どんな環境でもとりあえずコンサートの体裁を整えてきてくれた。その信頼感は半端ない。
しかし昼過ぎに現場に到着してみると、まだ音が出ていない。
「なに待ちですか?」
ときいてみると「打ち合わせの時使えると言われていた回線の半分くらい死んでるんです!」
という。


この劇場には確かに歴史的な重みがある。
エチオピア最高の芸術と文化発信の一番地だ。
しかしその反面建物は老朽化し、付帯設備も古く壊れて使えないものも多い。

ミキシングボードも日本ではお目にかかることはないような時代もので、予定していた使用回線の多くが正常に機能しないらしい。
機材のリニューアルにかける予算はないのだろう。
あらゆる点で、日本の帝国劇場とは対極に位置している。
楽屋の洗面所も不衛生で水は流れない。
近代的な建物ではないから仕方がないとはいえ、その古さには驚かされる。
しかしこれが現実なのだ。
この場所こそが、ここが誇りあるエチオピア文化の中心地だ。

予定した回線が壊れていたので使える回線がたりない。
つまりバンドとしての音がでない!

配線を変えながら、一つ一つどこに不具合があるかをチェックする作業は遅々として進まない。これはライブPAの仕事ではなく、音響設備設計の範疇だ。しかし、メンテナンスはなされていない。あるいは、しているのかもしれない。だが、壊れたものはそのまま修理されずに放置されているのだろう。
バンドの音が出ないので、サウンドチェックもリハーサルもできない状態が午後2時ごろまで続いた。ダメだ、時間がない。
「石井さん、もう出ないのは諦めて、とにかくサウンドチェックを始めましょう。出る範囲
内だけでやります!」
「いえ、あとほんの少しでなんとかなります!」
そんな会話が続いた。
音が出たー!!!
そしてついに歓喜の時がやってきた。
午後2時過ぎごろ。会場まであと二時間。
ついにバンド全員の音が出たのだ。
やったー!!!拍手が起こった。
もう本番が終わった勢いだ。
いや、しかしこれからがサウンドチェックとリハーサル。
モニターのチャンネルも足りないから、バンドはサイドからみなが共有するしかない。
それでも、音が出るという喜びが大きく、細かい音の微調整はどうでもよくなっている。
いくら入念にサウンドチェックをしても停電になったら元も子もない。
このような極限状態だと、音のバランスなどあまり気にならない。
無事にリハーサルを終えて楽屋でいよいよ本番にむけての最終ヘアメイク準備に入った。
エチオピアではナンキン虫に刺されると尋常ではない痒みに襲われるという。
古い布製のソファや汚いタクシーやバスに乗ると刺されるときいていたので、楽屋の古めかしいソファの上にはビニールシートを敷いた。

本番もテレビ局がどうしてもインタビューを撮りたいとやってきた。
楽屋はバタバタして場所がないので、裏庭で僕だけカメラ前でインタビューに応じた。
プレスカンファランスに来ていた局だとわかった。
我々がエチオピア入りしてからメディアの露出はすさまじい。
多くの人がニュースで見た、テレビでみたという。
応援団がマーケットでチラシを手渡した人が「彼のことはちょうどニュースでみた」と言っていたらしいし、タクシーのドライバーも同じように語っていたという。
開演直前、古の賢者の言葉によって心を一つに!
開演予定自国5時の30分前、斉田大使も到着。
各種メディアもいろいろはいっている。
この大一番のために我々はこの国にやってきた。
本番前、もう一度民間外交の目的と、学校公演の前に確認したこの国の世情を確認し、政府主催イベントでゴスペルを歌うこと自体がこの国ではありえないことだし、同じショーの中でエチオピアのヒット曲を歌うというのも、この国では慣習的にありえないことだから、我々は新しいことをしようとしていると確認した。
旧約聖書のイザヤ書の一節を読んだ。
イザヤ43:19 見よ。 わたしは新しい事をする。 今、 もうそれが起ころうとしている。 あなたがたは、 それを知らないのか。 確かに、 わたしは荒野に道を、 荒地に川を設ける。
2600年前に書かれた古代イスラエルの賢者の言葉であるが、この言葉を握り、現代のイスラエル人は一度滅んだ国を再興させ、この言葉どおり砂漠に緑に変えている。
どんなことでも、はじめに道を示す働きが一番難しい。
道無き道をいかねばならないからだ。
我々は「ジャパニーズ」という、うまれながらに稀有なブランドを背負い、かつで誰もやっったことのないことをやろうとしている。
それに対する健全な誇りを胸に、しかし誰も自分を見せつけようとするのではなく、天から与えられた賜物を天にお返しする「奉納の心」でステージに立ってくれと、意味と目的を再確認した。
そして、いつもどんな場所でも本番前に必ずするように、全員で輪を作り手を取りあって、祈りをもって一つの思いとなり、最後には円陣を組んでHEAVENESEコールで入魂した。
とくに、停電にならないよう、皆祈り心でステージに立とうと鼓舞した。
今朝からの大停電の繰り返しを考えれば、本番中に一度や二度真っ暗になるのは覚悟しなければならない。
そうなっても何事もなかったかのごとくに、再び電気がついたら拍手をもって喜ぼうと。
・・・・そしていよいよ開演だ
MCの司会の後、斉田大使によるオープニングのスピーチ。
HEAVENESEのメッセージは人類はみな兄弟だという大きな人類愛だと語ってくれた。

そして、ナショナルテアトル所属ダンサーたちの伝統芸能が文化交流イベントを盛り上げる。
地元ラップグループ、クロスコンセプトの演奏。

そしてついにHEAVENESEが始まった。
いつものナレーション入りのSEが入り、メンバーは板付いた。
映像が正常に動作しているのでホッとした。
リハのとき「あれは俺のプロジェクターだ」と何度も嬉しそうに言ってきた劇場のスタッフの男性がいた。
『ああ、個人所有のものを貸してくれているのかあ』と嬉しくなった。
その気持ちにこたえ、絶対に停電になるな!故障するな!と願った。
①The Code of the Samurai
琴のフレーズから虚無僧の尺八が登場。
初めて上演するアフリカの地で、この演出はどう映っているのだろう。

Code of the Samuraiのエンディングで、ボーカルが下手から歩いて登場すると歓声がおこった。
そして、バンドのキメにあわせて振り向いたとき、大きな拍手が。
このとき「あ、エチオピア人は反応するんだ!」と嬉しくなった。
初めて客席を見た。
ほぼ満席だった!
②Lift
③You are good


オープニングにアップな曲が続き息があがる。高所での激しめの曲のボーカルは本当にきつい。
クミコは高地の低酸素の影響が数字にも出ないし、本人も階段を上っても息がきれない。ただ、歌ったときだけその違いを自覚したという。
尺八もサックスもロングトーンが本当にきつい。
オープニングからいきなり最後のリフレインの歌詞が「ハレルヤ」だ。
LIFTはアメリカデビューEPの代表国で、最もゴスペルサウンドの色が強いものだ。
のっけから、禁止されていた「ハレルヤ」の大合唱だったが、全く問題なく受け入れられた。
Greetingで、どーよ、いーよ、はエチオピアでも有効だった。
④Mimamakim
今回のエチオピア公演の重要なテーマ曲。
この曲のレコーディングから全ては始まったのだから。
クミコがアムハラ語でアカペラを歌い出すと、会場からザワつきと歓声と拍手が起こった。
この曲が渡航前からすでに話題になっていた。
なぜ日本人が、エチオピアの大ヒット曲をやるのか?
このメロディーが我々をエチオピアに導いだ。
この曲はやらねばならない曲なのだ。

⑤津軽じょんがら節
誰にとっても初めて見るであろう津軽三味線。
ステージには森永さんだけが残り、我々はサイドにひいているから音しかきこえないが、観客からは要所要所で大きな拍手と歓声がおこっている。
カンザスのブラックたちの反応を思い出した。
エチオピア人は確かに日本人に似ているが、しかし彼らはやりブラックのルーツなのだと感じる。
三味線ソロが終わると大歓声が起こった。
⑥担ぎ桶太鼓デュオ
イッキはドラマーであって太鼓うちではない。
しかしイスラエル公演のとき、必死に特訓してルーさんとのデュオを初披露した。

それ以来の外国でのデュオ演奏だ。
以前よりもよくなってきているし、だんだん太鼓が板についてきた。
⑦パーランクコント
2011年のアメリカ公演の時に初めて披露した外国人向けの演目。
何度ものツアーや国内のコンサートごとにいろいろ改良されて、バリエーションが増えてきたが、今回エチオピアは、全く笑のツボもわからないので、2011年の原点に戻すか、カメハメをいれる改良版にするか、さんざん悩んだあげく、二回目のアメリカ公演版を準備。
果たして我々の笑のセンスは、エチオピア人に受け入れられるのか。
学校での子供たちには受けた。
だが、芸術と文化の一番地、ナショナルテアトルに集まるオーディエンスに通じるのか。
うれしかった。
人々は大笑いしてくれた。
見えないなにかをキャッチボールする、あのシンプルなギャグがアフリカでも通じた。
ルーさんがキャッチするたびにうける。
そして、カメハメハ。
ドラゴンボールは知らないらしいが、掛け声がかかった。
見た目にわかるギャグだから、それに呼応したのだろう。
そして大受けだった。
蜘蛛の巣では絶叫が起こった!

⑧3N1

太鼓演奏のあと、下手にひいてすぐに酸素吸入した。
酸素が入ってくることで体がらくになってくる。
⑨日舞

太鼓のあとに舞いを入れてもらったのは、
太鼓直後には息が切れてトークができないのと、万が一ふらつくようなことがあったら舞の間に大勢を整える時間が必要と考えたからだ。
この順序のおかげでライブ中に倒れることなく最後までできた。
この舞いは、国内最後のリハのとき、くみこが森永さんに依頼したものだ。
初めての米国ツアーのとき、タッブで勧進帳を踊るダンサーがいた。
やはり外国の公演では、勧進帳の音楽の盛り上がりのところだけとつないだいいとこ取りの音楽に見かけの派手な舞いをつけた演目が必要だ。
このリクエストに森永さんは見事に応えてくれた。
⑩ Silk Road
今回のライブ一番のハイライト。
曲の前のメッセージ。
エチオピア人と日本人が似ていることや、エチオピアに聖地ラリベラがあるように日本にも伊勢という場所があるとスクリーンに映しながら説明し、そのルーツがもしかしたら、同じ古代メソポタミアにあるかもしれないと話すと大きな拍手があがる。
地元のラップアーティストCross Conseptにラップで入ってもらった。
彼らは我々の考えに賛同してくれたのだ。
日本とエチオピアの関係がさらに強待っていくことの願っていると話すと会場じゅうが割れんばかりの拍手に包まれた。

⑪ It’s so easy
HEAVENESE唯一のレゲエの曲。
エチオピアではレゲエが人気だ。レゲエのメッセージであるラスタファリアニズムとは、エチオピア皇帝をメシアとしてたたえる黒人民族運動だ。だからエチオピアこそ音楽としてではなく、レゲエ成り立ちのルーツである。
この曲の最後で、エチオピアの小室哲也「アベガス・シオタ」を呼び込んだ。
オーディエンスから大歓迎している。

⑫ アディスアベバ・ベーテ
そしてここからエチオピアの大ヒット曲メドレーだ。
この曲は、ベルギー大使夫人(エチオピア人)から絶対にやった方がいいと勧められた曲だ。
子供から大人までみんな大好きな曲なのだという。
初めて聞いたときのけぞった。サイケなドランスのような曲なのだ。
「これを子供がすきなのか?」
そう思った。
みんなが大好きな彼女。