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Story

エチオピアツアー奇跡の

10日間を徹底レポート

  • 執筆者の写真Marre

13. 常識の壁をやぶる冒険

更新日:2017年11月28日

ハレルヤはNGです!

本番前、太鼓演奏の合間の掛け声をどうするか相談していると、そんな声がかかった。

地元出身コーディネーターのダニエルがかなり神経を使っているようだった。

ここは公立学校だし、政府系イベントだからいかなる宗教的な発言もNGなのだとさんざん聞いてきたことを繰り返す。 そこでメンバー全員を集めて緊急ミーティングを行った。

パスターZから聞いたエチオピアの現状を説明し、ジャパニーズであることの意味を確認した。

文化伝統を尊重し重んじるけれども、同時に日本人だからこそできること、いや日本人に期待されていることがある。そのためには勇気をもって常識を超えなければならない。

エチオピア正教、プロテスタント、イスラムの三つ巴の微妙なバランスを保ちつつ舵取りしている政府の苦労や、それぞれのグループに属する人々の発想もよく分かる。

しかし、我々には、未来のエチオピアを担う子供たちに何を伝えるかという命題がある。

短い時間ただ演奏するだけでは意味がない。

我々に託されたメッセージを「伝える」ことなくして、HEAVENESEの存在意味はない。


子供たちには全く関係のない既存の伝統主義の中で、これはダメ、これはいい、と決められてしまっている現実は、未来のエチオピアに持ち越される必要のないものも多い。

それが民族の特殊性に基づく伝統や習慣であるならば、何がなんでも守られるべきことであはあるが、古代の聖書の教えの湾曲した伝統主義による宗教体制による軋轢であるとすれば、かつてルターが宗教改革の楔をうったように、誰かがが、未来につながる新しい一歩を示す必要がある。

別に我々がステージからハレルヤと言わなければならないという理由は全くない。

ただ、旧約聖書に基づく国家で「ハレルヤ」がNGであるというのは大きな矛盾だ。

もしそれがこの国の常識だとしたら、それを超えられるのは、この国のシステムの一部でない日本人だけだ。

そのために我々はきたのだ。

それが反社会的な運動であったり、文化破壊や否定であるなら、絶対にやってやいけない。

正教、プロテスタント、イスラムのすべての人が聖なる書物として認めている旧約聖書に由来する言葉を公に発することができないという悲しむべき現実は、是正されてしかるべきで、それは誰かが提言しなければならない。

僕は、パスターZの言葉をメンバーに伝えた。

「だから神があなたがたを送ってくれたのだ」

日本人だから、彼らの常識の枠を超えられる。

それは対立にもとづくのではなく「和を以て尊しとなす」という調和の心に根ざした融和のためのステップだ。

これを作り出せるのは我々しかいない。

だれかが道を示さなければ、誰も真似することができない。

我々は、その道を示すためにここにきた。これは民間外交としての大切な働きだ。

だから、誰が何を言うかに翻弄されることなく、なすべきことをなすという強い思いで臨んでもらいたい。 すでにビデオを見て練習しているのにNGもあったもんじゃない。 そもそも、子供たちが踊る曲は、ハレルヤ という歌詞が出てくるものだ。

子供たちは授業でこの曲をみて、何度も練習してきている。

学校側からもなんのクレームもない。

それどころか、子供たちは楽しみにしているという。

それなのに、ハレルヤがNGというのは全くナンセンスで、すでに受け入れられ大丈夫なことを、それが「常識」だという枠にとらわれてしまっている人々が現実を見ないで押し付けているだけのことにすぎない。


そして大成功


初のエチオピア公演。

学校行事というおかたい枠であったが、彼らのNGも含めて完全に受け入れられて大成功した。


それはとても小さな一歩だったかもしれない。

しかし我々は、本来はなくていいはずの不要な不協和音の一つを取り去ることに成功したのだと思う。


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