Members
Marre
マレ(リードボーカル&ピアノ)
Kumiko
クミコ(リードボーカル)
この度のエチオピア遠征を無事に終えることができたのも、ひとえに皆様からの多大なるご支援の賜物ゆえと、心より感謝申し上げます。
初のアフリカ大陸、しかも、慣れない高地ということもあり、事前にそれぞれ低酸素トレーニングを実施し臨んだ旅でしたが、想像以上の現実に直面し、難しさを感じる場面もありました。
様々な出来事につきましては、ぜひStoryをご覧くださいませ。
今後とも私どもは「音楽外交使節団」を自負し、日本の心を以て世界の融和の一助となれるよう精進して参る所存です。
引き続きご支援のほど宜しくお願いいたします。
Marre & Kumiko
Ikki:岩瀬一城(ドラム・パーカッション)
まずは今回の旅をサポートしてくださった多くの関係者の皆様、そして現地で協力してくださったエチオピアの方々に感謝です。
笑顔を送ると笑顔で返してくれるエチオピアの人々。
些細なことでもすぐに手を差し伸べてくれるエチオピアの人々。
文化、伝統、習慣は違えどそうしたエチオピアの人々の温かさに触れることができた旅でした。ラリベラでは日が昇り一日が始まり日が沈み一日が終わる。
この東京では味わえない本来の人間営みを体験し失っていたものを思い出させていただきました。ラリベラの夜空に敷き詰められた満天の星空は生涯忘れないでしょう。近い将来、日本とエチオピアが更に深い絆で結ばれ共に発展していくとを心より祈念しております。
Thank you Ethiopia!!
Iddy::市川陽児(ベース)
今回のエチオピアツアーは本当に素晴らしい日々でした。
HEAVENESEのメンバーとしてでなければ、エチオピアに行く事はなかったかもしれません。
ツアー中色々な事がありましたが、参加できて良かったと感じています。
エチオピアのみなさんが温かく迎え入れてくれ、大人も子供もとても純粋な心を持ち主たちでした。
感動を与える事が出来た事が励まされましたし、右を見ても左を見ても、当たり前ですが、日本では見る事が出来ない景色ばかりで、自分も感動することばかりでした。
今後、日本とエチオピアの関係が益々深まってことをを心から願っています。
ありがとうございました。
Ryosuke:沢近竜佑(キーボード)
今回のエチオピアツアーの成功には、様々な方々のサポートなしには決して成し得なかったことだと思います。
特に現地のコーディネーターやスタッフなど、HEAVENESEの働きをよく理解し、ともに作り上げてきたことが、あの感動のステージを生んだのだと思います。
様々な面において、なかなか計画した通りにならなかったことは多々ありましたが、それでもそういった問題を越えて、民間外交としてともにエチオピアの人々と手を取り合って作り上げた数々の奇跡は、今後の両国間の関係においても、その様にあってほしいと願うものであります。
Naoya::中川直也(サックス)
滞在中は現地の子どもから大人まで、色々な人々と心を通わせる中で、戦前から色濃く存在する2国間の結び付きに想いを馳せる事ができました。
コーヒーセレモニーや茶道をはじめ、私たちはお互いに長い歴史を保っている仲間。今こそ、ますますお互いを知り合う必要があると感じます。
この日本とエチオピアの遠距離恋愛がこれからの国際社会で調和の模範となります様に。
ツアーを支えてくださった全ての皆様ありがとうございました。そして、言語を超越したコミュニケーションである音楽にも改めて感謝です。
Maki:村上真希子(コーラス)
HEAVENESEツアー史上、初のアフリカ大陸は、どのようなツアーになるのか足を踏み入れるまで想像がつかない部分が沢山ありましたが、日本とエチオピア、両方の沢山の方々の助けと、神がかりな奇跡によって、無事ツアーが終えられたことを、本当に感謝しています。
着いた初日の空港から、Japanese!と言うと親指を立ててgood!と言ってくれる程日本人は好かれていて、とにかくどんな方もとても親切にして下さいました。日本と近いものがあると聞いて訪れた地でしたが、言葉が完璧に通じなくとも、心が通じ合うものを感じました。
またラリベラの地での壮大な景色と、町の中心地に人々が集まり、熱狂的に迎えて下さった、そのひとりひとりの見つめる眼差しは心に突き刺さるものがあり、生涯忘れる事が出来ないものとなりました。
音楽を通して触れ合ったこの第一歩が、今後の大きな事への架け橋となると信じ、両国の関係が益々素晴らしいものとなっていくことを祈念しております。
ありがとうございました。アンマシグナル!
Lue:江上瑠羽(和太鼓)
初のエチオピアツアーはたくさんの衝撃がありました。
好奇心旺盛ですごく人懐っこい子どもたちや 360度見渡す限りのオーディエンスは忘れることができません。
礼儀正しくてシャイで他を受け入れる文化のあるエチオピアは日本と色々が共通しているように感じました。そして大人から子供まで本当に優しい。
常に助けてもらい、目を合わせて挨拶をすれば殆ど笑顔と言葉が返ってきました。
自分の携わった働きがその行動以上に良い影響として受け止められたことと感じています。
改めてHEAVENESEの民間外交の意味を知り、自分も皆様とここにいられることを心から光栄に思います。
この素晴らしい地でHEAVENESEの架け橋となる働きが共鳴したことを実感すると共にこの「始まり」をどう育んでいくのだろうと希望で胸が膨らんでいます。
Motoki:森永基木(津軽三味線)
「音楽外交使節団の一員として」 この度のエチオピアツアー、参加させて頂きありがとうございました。
慣れない土地での演奏は、体力的・メンタル的に不安はありましたが、無事に公演を終えることができたのも、エチオピアの方々の優しいお心遣い、メンバー・スタッフの皆様がお気遣い下さったおかげです。感謝の気持ちで胸がいっぱいです。
ナショナルテアトル公演で一曲目の演奏直後に沸き起こったのすごい歓声には鳥肌が立ちました。 また学校公演での子供たちのキラキラと輝く瞳と笑顔、 そして、ラリベラの大自然の中での盛り上がったライブなど、 たくさんのお客様から感動を与えて頂き、音楽をやっていて良かったと心から思える瞬間でした。
滞在中は本当に楽しく自然に笑顔が溢れる毎日で、エチオピアが大好きになりました。近い将来また訪れたいです! 今後も、歴史ある日本とエチオピアの友好関係が益々発展していくことを願っております。
Tomoko:岡戸朋子(琴)
初めて訪れたアフリカの地エチオピア。そして、聖地ラリベラ。そこは私が思っていたよりも遥かに素晴らしい場所と愛に溢れた人々の聖地でした。
私が酷い症状になった時、運転手さんやその場に居合わせた地元の方達が祈りを捧げてくれました。私の為にどこか横になれる知り合いの家を探してくれ、その家の主人も見ず知らずの日本から来た私の為に快く横になれる場所を提供してくださいました。
日本での自分の生活を考えると、日々なんて恵まれた生活をしているのだろうと思います。 でも、恵まれた生活の中で、恵まれすぎていて、目に見えない本当に大切な事を見失いがちになってないかと自問しました。
困っている人が居たら手を差し伸べる。横になれる場所のない人には横になれる場所を提供する。人を差別せず受け入れる。この当たり前のような思いやりや優しさ。物に恵まれ、人と人の繋がりの薄い現代では残念ながら希薄になってきていると思います。
インフラなど整っておらず、衣服も破れていたり、物も豊かではない地ではありますが、それよりも、今の私達より遥かに心の豊かさを感じました。
日本に帰国し、また1分に追われる生活に戻りましたが、ふと時々立ち止まり、脳裏にある彼らの生きる姿を目を閉じて思い出したいと思います。
当たり前と思って生きていたら感じる事の出来ない素晴らしい経験をさせて頂き、心より感謝いたします。
Yuta:美土路雄太(尺八)
今回のツアーで特に印象深かったのはラリベラでの出来事です。
まず空港に降り立った時見た風景。
長い滑走路を全て見回すことができ、その遙か向こうにそびえ立つ山々。
そしてどこまでも続いていきそうな青空。
とにかく広く、今まで感じたことのない開放感が味わえました。
そんな開放的な環境の中、天候にも恵まれ大勢のオーディエンスの前で演奏できたことを誇りに思います。
高山病には悩まされましたが、また行って演奏したい場所です。
安間孝明:撮影
今回、参加させて頂き、「なぜ、エチオピアなのか?」が良く分かりました。
古くは、ソロモンとシバの女王まで遡り、その末裔という誇りをエチオピア国民の方が持っている事、皇帝と昭和天皇との関係から始まり、日本の教育制度を取り入れ、多くの方が親日的な思いを表して下さり、民間外交使節団として、大きな役目を果たすのに、ヘヴニーズが適任であった、というより、ヘヴニーズをおいて他にはない事が良く分かりました!
4回の公演も、それぞれに特徴があり、素晴らしい経験ができました。
ベストチョイスだったと思います。
未来を託す子供たち、誇り高い国立劇場、ライクマインドのゼルバベルのいるBEZA Church。
そして、信仰の人ラリベラ王の開いた街、全てがヘブニーズが行くべき所でした。
今回の旅で体験させてもらった事は、全てかけがえのない事となりました。
子供たちの笑顔!停電の起こらなかった奇跡の公演と人々の反応!
神への深い礼拝の姿の満ちる人々の中でのの演奏!
マレの奇跡体験を大胆に語った感動のトーク
そして、最後に一体となった住民に囲まれた公演!全てここでしか味わえない経験でした。
日本大使公邸での食事もまたと無い体験でした。
皇帝のお孫さんとの出会いと交流は、信じがたいプレゼントでした。
更に、個人的に与えられた障害のあるカムロとビムロとの交流も今後の使命の宿題を与えられました。
これは、エチオピアとのブリッジ、始まりなのだと強く思わされました!
正木敏子:ツアードクター
渡航前、エチオピア大使館の医務官のドクターや、トラベルクリニックのドクターから情報をいただき準備を進めていった。 現地の医療事情の情報収集。 起こりやすい病気の検索、その対策。 持って行く医療機器や薬の検討。
予防接種の検討。
実際に行ってみると、毎日何かが起こる2週間。
低酸素&低気圧による様々な症状の他にも、感染性の胃腸炎、感染性の皮膚炎、風邪、ダニ刺症、帰国後の衛生管理の仕方を考えたり、など、日本にいると科で分断されてしまうが、そんなものは完全に飛び超えていた。
特にラリベラでは、標高2600mのホテルに到着早々、わたし自身が高山病に見舞われ起き上がれなくなっていた。
翌日にはバンドメンバーもバタバタと体調を崩していった。
この日は撮影日であり、本番の前日だった。
食中毒なのか、高山病なのかの判別もつかない状況で、とにかく最悪の事態を回避するために優先順位を付けていく。 外務省のHPの情報によると、“現地の病院では衛生状況が良好でなく、各種感染症の危険がある”という。できるだけ受診しなくて済むように対処をしたい。
明らかな高山病の人には下山を勧め、車を出してもらった。
空港付近は標高1800mだという。酸素が濃くなっているのが体でわかるほど、違う。
空港の駐車場で車を停め休んでいると、通りがかりの人が全員わたしたちに声をかけていく。
一人も素通りしなかった。
「何かできることはないか」
「アディスに戻った方がいいよ。こうすれば飛行機に乗れるから‥」
とみな、親身になってくれた。なんて優しいんだ。 具合が悪い人たちに経口補水液を飲んでもらい、とにかく深呼吸を促す。 わたしは平静を装いつつ、内心焦り始めていた。 そんなわたしに向かって、突如突風が吹いてきた。
大丈夫だよと語りかけられているのかとふと安心感が湧くと、2度目の突風。 完全に心は落ち着いた。
しかし、一人悪くなっていく一方の岡戸さん。
酸素飽和度は正常値が95ー100%のところ、68%になり、上がってこない。
一時的な数字ではない。 高山病は、重症では肺水腫や脳浮腫を起こす可能性があり、そうなると命取りとなる。
病院に連れて行くべきか、それとも今他にできることはないのか、と思案し、祈るような思いで岡戸さんの手を握る。すると背後から男性の声が聞こえた。
「何かできることはないか」
他の車のドライバーと、下山に同行していたガイドのNatty。 思わず「彼女のために祈ってほしいの、お願い!!」と言うと、彼らは快諾。 男性だけで祈り始めた。
わたしはもう一度彼女の手を握りしめた。 するとどうだろう。。。。 グングン数値が上がり、98%になった。
目を疑った。 何をしても回復しなかった数値。それに、この上昇の仕方は尋常ではなかった。
あり得ない。 祈りの力。目に見えぬ力が確かにあることを実感した。
この後、彼女は自力で起き上がった。
同じ時間、リーダーのマレさんも絶不調の中で奇跡を体験したと言う。
医療資源のない環境の中で、感性が研ぎ澄まされる感覚。
病院の中だけにいては、決してわからないことばかりだった。
翌日、HEAVENESE一人一人が、決して万全な状態でない中臨んだラリベラでの演奏当日は格別だった。
メンバーが立っている、その一点でも、見ていると涙がこぼれた。
炎天下だったので裏方スタッフ含め全員に経口補水液を配る。
そして迎えた本番。 いつ誰が倒れてもいいようにバンドの真後ろでスタンバイ。
と言っても、360度取り囲む群衆の中で前も後ろもない。隠れているつもりが群衆から丸見えだった。
2曲目で目の前が真っ暗になってしまったマレさんが、酸素を吸いたいと申し出てくれたが3N1が終わるまで舞台から捌けられない。 3N1が終わったらすぐに酸素吸入。なんとかラストまで持ちそうだ。
後半、舞台に送り出してから群衆をよく見ると、木や車に登ってまで観ている人、踊る人、撮影する人、拍手喝采の人、とにかく観客が楽しそうなのが目に飛び込んで来た。 すごいことが起こっている。。。。 誰一人倒れることなく、無事演奏終了。 その後の夕陽は特別に美しかった。