11月2日、エチオピア最後の皇帝ハイレ・セラシエ1世の戴冠式の記念日。
皇帝の業績を継承するための非営利団体「皇帝ハイレ・セラシエ・メモリアル・アソシエーション」から招待をうけ彼らのオフィスを訪問した。
皇帝の直系子孫にお会いしたいと、大使館経由で依頼していたものが実現したのだ。
大使館からも、お世話になっている担当官が同席してくれた。
会議室に通され、そこで彼らから、アソシエイションについての説明を受けた。
しばらくすると、皇帝の直径のお孫さんの一人でアソシエイションの理事の方がお見えになった。
Lig Mikeale Mengesha Seyumというお名前だ。
三笠宮殿下に似ていて気品がある。(下の写真の右。左は従兄弟)
皇帝の隣に写っているのが本人
今上陛下が皇太子だった頃、ハネムーンで訪れた地がこのエチオピアだったのだが、そのとき、皇太子夫妻をご案内したのが彼のご両親であった。
その時の写真も残っている。
我々が大使館で見た写真に写っていたのだ。「あ、この皇太子の隣のこの人、私の父ですよ!」と。未だにご存命だそうだ。
日本大使館に飾ってあるこの写真の左の人物が、彼の父親だ。
●エチオピア皇帝を感動させた日本
皇帝は1923年、皇太子の頃に初めて来日した。
そして、伝統を残しつつ近代化を成し遂げた日本に感動し、未だ近代化を成し遂げていない自国の発展のためのモデルこそ日本であると確信した。
多部族が混在するエチオピアを統一し発展の礎を築いたハイレ・セラシエ一世は、日本にならい、当時の大日本帝國憲法元に、自国の憲法を定したのだ。
そして教育こそが大事なのだと、日本式の教育を取り入れ、エチオピエアを発展させた。
エチオピアは、アフリカで唯一ヨーロッパの植民地にならなかった国だ。
一時期、イタリアの侵攻を許したが、彼らはエチオピア人の誇りを盾に戦いを挑み、見事イタリアを打ち負かし、独立を維持したのだ。
その背後に日本があった。
ハイレ・セラシエ皇帝が日本を訪れ、日本をその目で見たいと思ったのは、日本が当時有色人種の星だったからだ。
それは日露戦争での日本の勝利である。
●消滅したエチオピア王統
だが、専制君主制の国の矛盾が国内では貧富の格差や経済の低迷というマイナス要因を生み出し、最終的には軍事クーデターにより1974年崩壊した。
日本のようにはならなかったのだ。
皇帝は捕らえられ、一族は皆処刑された。
古代イスラエルのソロモン王とシバの女王から3000年間、脈々と受け継がれてきた世界最古の王統は消滅した。
●末裔たちの今
しかし、三笠宮殿下に似ている彼は、当時20代でカナダに留学していたので難を逃れた。
しばらくすると、彼の従兄が現れた。
Leauel Bedemaryam Mekonen Hailselasaというお名前だ。
Wabishebele Hotelというホテルを経営している。
(上から2つ目の写真左)
彼は軍事クーデターが起こったとき17歳だった。
そしてそのなんと15年も投獄されていたのだ。
ロイヤルファミリーだということで特別扱いもされず、死刑囚たちと同じ部屋にいれられ、いつ殺されるかわからない恐怖を15年間耐え続けた。
「神を信じる信仰だけが支えだった。それによって乗り越えたのだ」
彼は真顔でそういう。
この国で信仰は重要なものだと。
協会オフィスと、彼の経営しているホテルで、3時間近くかなり濃密で深い話をさせていただいた。
●国づくりに命をかける使命
彼らは二人は熱く国づくりについて語ってくれる。
ひどい目にあっても今も国づくりのために一生懸命だ。
彼らは教育こそが命だとという皇帝の意思をついで、奨学金制度をつくりエチオピアの20校以上の大学と共同でプロジェクトを進めている。
軍事クーデターから時間もたっているし、今は民主的な政権が誕生したことで、以前よりも、皇帝の業績を語ることができるようになってきたという。
彼らは教育によって、在りし日の皇帝の素晴らしさを継承していくために命をかけている。
日本ではまだ彼らを支援する団体がいない。
そんなこともあって、彼らは我々に大きな期待をかけているのがわかった。
印象的だったのは、彼らは決して政治的に政権に返り咲こうとか、権力を手にしようなどと思っていないということだ。
日本大使館の職員によれば「公には発言できない」ということなのだろう。
彼らは自分たちの活動は政治とは関係ないと強調する。
エチオピアの未来にとって大切なのは人材であり教育なのだと力説し、貧しい子供たちは教育を受けられない人たちを無くしていくことがこの国の未来だと訴える。
三笠宮殿下にそっくりな風貌から語られる言葉を聞きながら、まるで日本の皇族の方とお話しさせていただいているような感動があった。
彼らは現政権を刺激しすぎないように地道に活動を展開し続けてきた。
皇帝を知らない世代が75%の今、自国の正しい歴史を正確に伝えていくことが求められているのだと。
彼らの活動は、戦後の教育によって全否定されてしまった戦前の価値観の良いものは正しく継承していくべきだと思い、エンターテイメントによって発信している我々の活動と志を同じくするという点で、非常に深い一致を見た。
●エチオピアで輝く日本皇室の心
権力とはかけなれたたころで、かつて自分の家族がきづいてきた国を愛し、一民間人として国のために建設的なビジョンを持ち、政治権力の座にかえりつこううと努力するのではなく、教育事業に一命を賭している姿をみて、日本の政治家たち皆が彼に学ぶべきだと思った。
いや政治家だけではない。我々民間人がどういう心で何をなすべきかを、かつては王族であったのに、今や民間人の立場で、民間人にできることをその身を持って模範として示してくれている姿に深く感銘した。
彼らは言う。
「日本とエチオピアの関係は100年近く前から良好だった。その関係を決して衰退させてはいけない。我々が正しく歴史を継承することによって、両国の友好関係を不動のものとしていきたい」
彼の思いは今はなき皇帝の意思を継承することだ。
皇帝は教育こそ命であると確信していた。
それは伝統を失うことなく近代化を成し遂げる鍵なのだと。
そのモデルは日本だ。
皇帝の意思は、今、彼らの働きに継承されている。
それは、皇帝を感銘させた日本を継承していくことでもある。
我々は「ぜひともに手を携えていきましょう」と熱い握手を交わし合った。
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