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Story

エチオピアツアー奇跡の

10日間を徹底レポート

執筆者の写真Marre

18.神の山/奇跡の日その①

2017年11月7日

今日起こったことはあまりにも神聖で生涯忘れ得ぬことだ。

こういうことが起こるとは想像もしていなかったし、ある人にとっては信じられないことかもしれない。

しかしここに記すことは、なんの脚色も強調もない自分自身の身に起こった事実である。


朝5時、蚊の音で目がさめた。

こちらで蚊に刺されたくないので非常に困ったことになった。

映像の安間氏を含め、何人かがラリベラ岩窟教会の朝の祈りに参加する予定になっていた。


岩窟教会・・・ここが今回の目的地の一つ。

12世紀のラリベラ王の時代に岩をくりぬいて建築された教会群で、地下ですべてつながっている。

岩盤をくりぬいているので、釘もなければなにもない。

石造り建築史的にみて世界に類を見ない。

さらに、この場所が特殊なのは、世界遺産でありながら、今の人々の日常的な祈りの場として使われているということだ。

古代の建物は、今も形を変えず当初造られたときの目的のまま今も祈りの場として使われているのだ。

この場所には1000年の祈りが積み上げられている。

その点で伊勢神宮と同じである。

伊勢は20年ごとに作り変えられることによって「常若」の神を現してきた。


しかしこの場所は、くりぬかれたままの形で、建て替えることもせず、廃墟とならずに今に続いている。




「絶対に体験した方がいい。神聖だから」

地元の人々から何度もそう言われていた。

古代から続くエチオピア正教の祈りとはどんなものなのだろう。

1000年前から同じ形を留める神聖なる場所で、一体どんな祈りが繰り広げられるのだろう。

ものすごく興味があった。

だが朝5時から8時まで3時間、人々は狭く暗い石の教会の中に立ち続けなければならない。

一度入ったら途中退席が認められないという。




「もう遅れているな」

そう思った。

彼らは入れてもらえるのだろうか。


せっかくここまで来たので様子を見に行くつもりでいたが、お腹の張りと吐き気がひどい。

「まさか、食あたりか、勘弁してくれ」と思った。


昨晩、ラリベラのホテルについて、こちらで出されたランチもディナーを普通に食べた。

それがあたったのか。

アディスアベバでは日本から持ち込んだ食材を料理して毎日それを食べていた。

こちらでは必ず食中毒になると警告されていたので、とにもかくにも食べ物には気をつけないと

いけないということでとあらかじめ計画して持ち込んだのだ。


ところがラリベラのホテルにはキッチンがないし冷蔵庫も使えないということだったので、

ホテルの食事をするしかない。

でもきっと大丈夫だと前乗りしたスタッフから聞いていた。



気持ち悪さを眠気でごまかしうとうとしているとまたノックの音が。

どうやら僕を待っているらしい。

小声で「ちょっと間に合わない」と伝えた。

また眠りにつこうとしたが何度も目覚めた。

お腹の張りと吐き気がひどくなる一方だった。


今日は世界遺産での撮影だというのに、思いの外具合が悪くなんとしたことかと

格闘すること一時間。

すっかり明るくなった7時ごろ「そうだあの曲をかけよう」と思い立って、

枕元においてあったパソコンを開いた。


エチオピアのネット環境は最悪で、特にこの山の上はWi-Fiがなかなか通じない。

だが今朝はyoutubeがつながって期待していた曲が流れ始めた。

我々夫婦にとって、特別な曲となっている曲だ。

ファイブロマイアルジアという持病と格闘しながら生活しているクミコにとって、この歌は特別で、

美しい旋律と歌詞によってどれほど力づけられてきたことか。

以前から知っている曲だが、その時と状況にあまりにも当てはまっていたり、必要な言葉が語られたりすることのによって特別なものとなるということがある。

まさにそういう曲なのだ。


癒し主であるイエスを讃える曲で、旧約聖書イザヤ53章に立脚している。

イザヤ53章は旧約聖書の中でも、特に際立って特殊なものだ。

ここには十字架に架けられたイエスの姿がリアルに描かれている。

しかもイエス誕生の約600年前に記された書物である。




あまりの正確さに、十字架を目撃したキリストの弟子が、あたかも以前から預言されていたと見せかけるために、

イザヤ書にまぜたのだと、数世代にわたって懐疑主義者たちの批判をあびてきた。


ところが1947年、イスラエルの死海のほとり、クムランの遺跡から世紀の発見がなされる。

かの有名な「死海写本」だ。

旧約聖書やその他の書物の写本が数多く発見されたのだ。

この写本の字体やともに見つかったコインなど、様々な考古学的な物証により、この写本が紀元前3世紀まで遡ることがわかった。

そしてそこに、イザヤ書が完全な形で収められていたのだ。

すなわち、いわくつきの53章もキリスト以前の書物であることが証明されたのである。


イザヤは、自分がいつのときの、なにを語っているかを知らず、天からの啓示をうけて

目の前に広がる情景を文字にして記録した。

それはこう始まる。


イザヤ53:1

私たちの聞いたことを、 だれが信じたか。  主の御腕は、 だれに現れたのか。


自分たちが告げる知らせを人々が信じない、という否定的な言葉からこの預言は始まる。

それほど、その情景を見る人々にとって「意外」でにわかに信じがたい光景なのだ。


イザヤ53:2

彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。  彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。

イザヤ53:3

彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。


ここに彼と呼ばれる人物が登場する。

神の前に若枝のように誕生し、力強く育っていく。

しかしやがて、彼に対する人々の評価が豹変し、人々は「彼」を蔑み、排除し、悲しみの底に突き落とす。

彼は悲しみや病の現実をよく知る人物となるという。

私たちも彼を尊ばなかったとは、すなわち「イスラエル人」が彼を尊ばなかったということだ。


そしてこの彼について、さらに核心に触れる内容へとイザヤは進む。


イザヤ53:4

まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。


ここに至って、彼が「我々の病を背負った」のに、人々は彼が神の罰を受けたのだと理解している様子が語られる。


そしてイザヤは彼が罰せられた理由を語る。


イザヤ53:5

しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。


彼と呼ばれる人物は、「人々の罪と咎」のために激しい暴行を受け刃物で刺し通されボロボロにされた様が描かれている。それは人々には天罰のように見える当然の報いであるが、しかし実は、その悲惨な懲らしめが、人々に平安を与える手段であり、その傷は癒しのためである!とイザヤは預言した。


歴史上、イザヤが預言した、この「彼」と呼ばれる人物にぴったり当てはまるのが、十字架に架けられ処刑されたナザレのイエスであることから、イエスの弟子たちによって書かれた偽書だと疑われていたのだ。


しかしこの書が、紛れもなくイエス以前の書物であることが証明されて以来、聖書の特異性が世界的にクローズアップされ、その言葉の圧倒的な重みが世界を驚かせたのだ。




この言葉が真実であるとするなら、イエスの十字架は本当のことである。

イエスは十字架の上で「完了した」と言われた。

完了したから人が付け加えられない。

そしてイエスは十字架で病を負い、その傷によって我々は癒されたのだと、2600年前の古の彼方から

イザヤはそういう。


苦痛の中で横たわっている耳元から、このイザヤ書をベースにした曲が流れ始めた。

今までも何度も聴いてきた曲。

しかしイントロが始まった瞬間、今までとは全く違う不思議なことが起こった。


音の一つ一つが、スローモーションで映し出された3D映像のように、水滴のような形をして

ゆっくりと飛んできて、横たわる僕の体の空間を舞ったかと思うと体内に染み込んでいく。

最初の音と、二番目の音、そして三番目の音、すべて独立した命をもっていて

一つ一つが別々の経路をたどって体をかけめぐる。

まるで毛細血管の一つ一つにまで浸透していくような感覚だった。


理屈ではなく実体験として、神を讃える音の中に「神の命」が注ぎこめられていることがわかった。

音楽をきいて感動するという表現では言い表せない。

感情的な感動ではなく、霊的な衝撃という方がふさわしい。

肉体的には吐き気と膨満感で苦痛であるのに、それを上回る霊的な充足が全身を包んだ。

自然に涙が溢れ始めた。


左手には大きな窓から見渡すかぎりの広大な大地が広がっているのが見える。

一瞬のうちに、横たわる自分がまるで異次元に移されたような感覚に包まれた。

音楽の中に宿る神の霊が一つのことを示してくれた。

吐き気と膨満感による苦痛で横たわる自分は、神の山にいることを悟った。




1000年の人々の祈りが積み上げられた神域。

気づくと、体調不良を察知したクミコが、体がよくなるように祈ってくれていた。

そのとき、それまでの音霊とは別に、イエスの実存が降りてきて触れてくれているような情景が目の前に広がった。

その時、たちまち苦痛が去った。


「 クミコ、ありがとう。 もう大丈夫。治った」


僕はそう言った。

音楽が流れ続けている。

感情的に激情していたわけでもない。

しかしただただ涙が流れ続けた。


しばらくするとディレクターの小林さんが部屋にきた。

久美子が電話で僕の具合が悪いということを伝えたので、心配して様子を見に来たのだ。

そしていう。


「みどろ、おかど、をとりあえず下ろします」

「え?どういうことですか?」


二人はひどい嘔吐と下痢で倒れている、酸素レベルが低すぎて危険だから、山から下ろす、というのだ。

空港は標高1800メートル。

ここは2600メートルだ。


そしてここから、本当の奇跡が始まった。

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