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Story

エチオピアツアー奇跡の

10日間を徹底レポート

  • 執筆者の写真Marre

17. ここはアフリカだー!!!

2017年11月6日 ついに聖地へ!!

小型プロペラ機で1時間。

広大な原野に囲まれた飛行場に、我々が乗ってきた飛行機が一機のみ。 降りた瞬間、すべてのものが「アフリカだー」と声を出す。









小さな空港の到着ロビー。

いなかの電車の駅のようだ。







いよいよ聖地ラリベラに一歩を踏み出す。 空港の前は綺麗に整備されたに田舎の電車の駅前広場のようだが、商店街やビルが立ち並ぶわけではなく、空港の敷地を仕切る壁と樹木が植わっているだけだ。 清潔感のある場所だなぁ、というのが空港を降りた最初の印象だった。 それが、あとでとんでもないことになる。


外に出ると花束とHEAVENESE歓迎のサインを持って立っている男性が。 彼がデスタ。 ラリベラ王の子孫で古代イスラエルのダビデの血統でもある。 彫刻のように整った顔立ちはダビデそのもので、我々の間ではダビデと呼ばれるようになった。 地元の名士であり観光業の経営者だ。彼が我々のツアー成功のために一年以上かけて準備してくれた。







用意された車にのると草や花びらが敷き詰めてある。 これがこの地方の伝統的な歓迎のしるしなのだ。 まるで何かのアトラクションのようだ。












飛行場から走りだして道路に出た瞬間から、一同、みなボルテージが上がった。そこに広がる情景はThat’s Africa!!

目の前に広がるのは紛れもなくアフリカだ。どこからともなく歩いてくる人々が色鮮やかな服に身を包んでいる。

日傘をさして歩く人もいる。


日傘をさすというのは、帝国時代の名残りだそうだ。牛、ファルコン、ロバ、羊、いろいろな動物が行き交う。


遠くに見える教会で葬式があるから皆歩いているとガイドさんはいう。

しかし彼らはどこから歩いてくるのだろうか?

我々の向かう、進行方向の先から歩いてくる。


見渡すかぎり店もコンビニも自販機もない道を颯爽と歩く。

5〜6時間歩いてくる人もいるという。

我々は強い人間だから歩くんだとガイドさん。

それに歩く方が健康にいいと。


車はどんどん坂道をのぼっていく。

しばらくいくと、絶景ポイントがあって、車がとまった。

ラリベラをの広大なパノラマを見渡せるスポット。





小さい子供たちが、出店を開いている。飲み水をどうしているのだろうかと思う。炎天下、ずっと座り続け、観光客が車をとめて記念撮影にくるたびに、アクセサリーや小物を一生懸命すすめるのだ。




さらにのぼっていくと、ついにラリベラの町がみえてきた。 家々が斜面に這いつくばるように立ち並んでいる。

人々はあそこから歩いてきていたのだとわかった。

ここがラリベラの中心地だと言われたところを通り過ぎた。

確かに中心地らしい賑わいだが、富士山の上の山小屋がならんでいるような、そんなところだ。




ラリベラでの滞在先は皆同じホテルだ。

案の定、予約どおりになっておらず部屋数が足りていない。

まあ、ここはアフリカだ。





昼食はホテルのレストラン。全員そろって食べることができる初めての日。






料理の味付けはおいしい。

日本人の口にあう。







その後、大半の人は世界遺産岩窟教会へ。

我々は明日の撮影会のためのロケハンのために、少しおくれてから岩窟教会群へむかった。

歴史の重みを感じる聖地である。

ラリベラ王が第二のエルサレムとしてこの場所をつくった。

人々が聖地巡礼のためにエルサレムに行くのを防ぐために第二のエルサレムを作ったというのだ。

この教会群は、今も日々、人々の祈りの場として使われている。








夕食はバフェ。

オーナーは我々の滞在を本当によろこんでいて、夕食後に歓迎のために民族音楽とダンサーたちを手配してくれていた。






キャンプファイアーを囲んで、アムハラ族の伝統音楽を日本人とその他の宿泊客の西洋人とアフリカ人が踊る。

昼も夜も日本人の口にあう料理を堪能し、アフリカンな夜を満喫した。 だが、それがとんでもない事態を引き起こすことになる。


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